Lovelessという
ロシア映画を観た
両親ともに
新しいパートナーがいて
離婚協議中
どちらもひとり息子を
相手に押しつけようとして
喧嘩のさなか 息子がいなくなり
探しはじめる 大まかにいうと
そういうストーリーなのだが、
とにかく全て徹底的に
愛がない
両親、祖母、それぞれのパートナーなど
登場人物だけではない、
社会の仕組みにも仕事にも
何気ない動作にも愛がない
買い物の商品選びにも
買い物かごに商品を入れる動作にも
交わされる会話にも。
失踪届けを出して
取り調べに来た警察官たち、
ボランティアで失踪人を探す団体の
メンバーによる家出人のビラに貼り方
(風除けのあるバス停の外側や
地下道の階段の脇に貼るのだが
少し考えたら
バス停中側に貼れば、
階段の正面に貼れば
注目度は上がるのに ただ
漫然と作業しているのだ)
学校の担任も 勤務が終われば
ふつうに帰って行く
ストーリーよりも
その行動から目が離せなかった
これ 映画の出来事じゃなく
わたしにもわたしの周りにもある
企業年金基金や
年金事務所の対応はどうだろう
家族を失って呆然となりながら
手続きの電話をかけたり、
窓口に出向いた時
お悔やみの言葉ひとつない。
必要書類を コピーして返す選択があるのに
「こちらいただいていいですか」
「それ以外の選択はなんですか?」
「はい。コピーして
お返しすることも可能です」
彼らにとっては日常茶飯事だろう
しかし こちらにとっては
一生に一度だけなのに
しかも 高齢の人が
その診断書や謄本を取りに行くことが
どれだけ大変なことか
病院の支払いも
杖をついた人にはひと仕事
工夫はないのか
で、わたしだ
お茶がらを捨てるなら
残り葉がないように
服をたたむならきっちりと
世の中の大抵のことは
愛があれば 気持ちよく回りそうだ
Loveless わたしにとって
問題提起の大きい映画だった