2019年03月

あ この人 わたしの彼氏ではないのよ

この人が 大宅世継さんと会った時
「思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける。かかればこそ、昔の人は物言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れ侍りけめと思え侍り。」とふたりは話すわけだ。

はるか遠い日に 
居眠りしながら受けた
古典の授業が 
時を超えて役に立つこともあるものね。
大鏡だったわねえ。(「侍りけめ」の文法解釈
テストに出た気がする〜^^;)

へー ブログってこの穴と一緒なのね。
言いたいこと言ってすっきりして
その上 たまには そのことで 
ほかの人とおしゃべりもできるもの。






かへ

なんか でっかいエンブレムの
ドヤ顔クラウンが やたら増えたな と
思っていたのだが…

ここから先は おばちゃんの独り言なので
客観的な見地ではないこと予め
ご承知おきの上 読みたい方はどうぞ

世の中には
国産がいいと思う人は案外多いと思う

ちょっといい車(軽とか大衆車とかでなく)に
乗りたいな と思う人の選択肢は
国産か  外車か に分けられる

外車だったら いろいろあるよ

では 国産車でいい車
今が昭和なら クラウン🆚グロリアとか
とにかく 同ランクで TOYOTA🆚Nissan が
あったのよね
(ホンダと三菱、スバル、マツダは知りません)

ところが 平成も終わりになって
気がついたときにゃ
レクサスに対抗する日産車はなく
ちょいと悪いおやじが乗る国産車は
クラウンか インフィニティ

そのインフィニティは 本来
スカイラインとして プリンスから
技術の日産が 作り続けてきたものだったはず

ところが これはマツダ車ですか?って
10人中8人くらいが間違えるような
マークつけられて メインから追いやられ

気がついたら リーフ ノートが
代表車みたいに
なってるんだわね
(まして セダン愛好者にSUVの
ダイレクトメール送ってきた!)

そうか!日産って 
ちょいといい車を買う層は
外車買う層と市場が重なるから
そこは切っちゃったんだ(と思う)

そうよね ルノーの国フランスでは
高級車はドイツの車だものね

日産って
もっともマーケットの広い大衆車に
特化したんだ(と思う)

そうしてコストカットしたんだ(と思う)

それで 国産車にこだわる人は
クラウンしかなくなったんだ(と思う)

TOYOTAは  レクサスは手が届かないけど
国産のちょいといい車に乗りたいと思う
少数の人を大切にしたんだ(と思う)

日産もレクサスより少し
手の届きやすいクラスに 
これだぜ!と言える
ベストのスカイラインを 
投入し続ける判断はなかったのだろうか?

近頃 トヨタイムズで
TOYOTAスープラ復活などについて
豊田章男社長が
必ず残る車はFun to driveとあり、また
「いい車作っていますね」と
褒められる会社になりたい。と
あるのをみて 感激した
この人 ずっと先を見ているんだと。

TOYOTAとNISSAN 
埋めようもない大きな差がついたんだ
(と思った)



「読書」のやる気スイッチが
突然入ってしまった

昨日には 中伝通信講座が
届いてるらしいのだが
ごめんなさい

スイッチの入った読書は
もう誰にも止めらんねえ〜 ので
このスイッチがoffになるまで
メールが開けられません

こんなわたしを 黙って見守り
スイッチが切れるまで 
好きに放っておいてくれた あなたは
タオに深く通じたひと だったのかな




かつて行っていたジムに
中近東にルーツを持つ美女が入会してきた

彫りの深いエキゾチックな品のある顔立ち
潤んだ大きくて印象的な瞳と長い睫毛
黒くて艶のある波打つ豊かな髪が
その美しさをさらに際立たせていた
居並ぶ 平坦な顔だちのみんなが
うっとり見とれていた

そんな彼女が わたしのこの直毛を
きれいだきれいだ そうなりたい!と
言っていたら、だ。

ある日 なんと 彼女は
ストレートパーマかけてきた
ん!んんん! ジム中が静まり返った

だって あまりにも不釣り合いだったから
彫りの深い顔立ち✖️ストレートな髪型 が

そのときストンと納得いたしました
生まれ持った顔には 生まれ持った髪質が
最も似合うのだと     この直毛に
ゆるいカーブのパーマなど
かけても 似合わないのだ と

そうよね
レディガガ の歌詞にあるでしょう
「神さまがあなたを完璧に作った
    (とママが言った)」って

そのとおりなんだよね きっと







春の彼岸の中日の今日
お墓まいりに行ってきた。
嫁いでから 26年 (あの年を除いて)
毎年行ってるのだが、年々
お参りする人が(絶対)増えている。

特に今年は お水を汲むのに
列に並ばなければならないほどに。
線香に火をつけるコンロの火が
消える暇もないほどに。

こんなに人が来ているのを見たことない。
若い世代とそのこども世代が
親世代とともに来ている。
しかも (わたしが任されている)
両方のお寺ともに、だ。

なんでかなあ?
 (わたしたち世代は
親が共働きも多く 
おじいちゃんおばあちゃんと
ともに過ごすことが多かった。
同居も多かったし。そんな)
子どもたちが
家長世代になったからかな? 
仕事中心の世の中が
家族(や仲間)中心の世の中になったからかな?

理由はわからないけれども、
これは いいことであることは確かだ。
ご先祖さまがいてこその
今の自分があるのだから。

一方のお寺に眠る 
夫(の母方)の祖父母にわたしは
お目にかかったことがない。
ふたりともなくなった後
(おじいちゃんは今年50回忌)で
夫と知り合ったから。夫は
「おばあちゃんに(わたしを)
会わせたかった」と言って
スケールの大きいおばあちゃんの
エピソードを
たくさん聞かせてくれたので
お墓に行くとなにかとても懐かしく思う。
会ったことないけど、
大好きなおばあちゃんだ。
そういうご先祖さまがいてこそ
今日のわたし(の居場所?)がある

今日も無事 お参りをすることができた。
で、今日は 夫のお誕生日だった。






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